http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F925086&contentNo=30&outputScale=1
西郷隆盛の物とされているロンジンの懐中時計(偽物との噂)は1869年に藩主から贈られた物とされているけど、
この話との時系列的には一応問題なさそう。
「ロンジン」を日本で最初に所持したのは「西郷隆盛」です。
江戸城無血開城の翌年(1869年)に、西洋文化に造詣が深かった第12代薩摩藩主島津忠義が贈ったとされています。
贈られたのが1869年とされていることから,ロンジンの名が刻まれた製品としては最も初期のものだと考えられます。
当時、ロンジンは日本に直接貿易をしていませんでしたが、薩摩は琉球を通じて貿易をしており、また横浜には時計輸入商社が出来ていたのでそのルートから入手したと考えられています。
西郷隆盛のロンジンは、気品漂うゴールドの懐中時計で、ホワイトダイアルのオープンフェイスで、6時位置にスモールセコンドがあり、インデックスはローマ数字です。
西郷隆盛が所持していたロンジンの時計は2個あり,鹿児島県歴史資料センター黎明館と尚古集成館にそれぞれ保管されています。
なお、日本が太陽暦を導入したのは明治6(1873)年からです。それまでは「不定時法」で1日の夜明けから日暮までを6等分していました。その為、季節により時間の単位が違っていました。
西郷隆盛は、生活時間を知るためではなく、大砲の飛距離の計算に使用していました。
つねに正確に同じ秒を刻む時計が軍を率いる為の必需品でした。
西郷隆盛が愛用した時計
時計好きのための掲示板です。愛用の時計の投稿や時計について語ったりご自由にお使いください!
PC :ウォッチちゃんねる-時計の掲示板-
スマホ:ウォッチちゃんねる-時計の掲示板-
新聞社データベースの横断検索で縮刷版
このへんは研究の基本だよね
>>517は一次文献ではないので史料としての信憑性を欠く
特に後年の偉人伝的な物はえらく見せる目的から大きく描かれる場合も多い
ただ後藤伯は自己顕示意欲がかなり高かったんで多少あった事実を誇張した可能性はある
(別の人が驚いたのを箔をつけるため元勲が驚いたことにした)
しかし、安政五カ国条約以降開港場ではすでに時計が入って来ていて
薩摩系が持ってないのに土佐系が持っていたという整合性も怪しい
王政復古前の先代薩摩藩主島津斉彬は時計持ってたと記憶しているし(違ってたらスマヌ)
ちなみに日本で時計が普及するのは明治5年の太陽暦の採用以降
この太陽暦の採用は公務員への12月の給与が払えなくなってデフォルトの危機だった明治政府が
太陽暦の採用によって12/2を1/1にしたことで
1ヶ月分の給与を浮かしたという
ものすごい雑な理由だったりする
二段目のしかしは無くていいね
スマソ
いずれにしても脚色だろう
載っていた本が「話の種」で、読者の購入目的から考えれば
面白くする必要があるから脚色もしくは創作の可能性が高いだろうね。
ただ、懐中時計が日本に入りだした時期と大きくはずれていないあたりが良く出来た話であるなと。
あと、後藤象二郎がこの役回りってことは、いかにもこういうことをしそうな人だと思われていたんだなぁとw
と思ってちょっと調べたら、改暦と同時に定時法へと変更してたのかー。
一日の長さを等分に分割する時刻制度を「定時法」と呼び、現在は24等分した方法が世界中で使われています。これに対して、一日を昼と夜に分けそれぞれを等分するやり方を「不定時法」といいます。江戸時代の日本でも不定時法が使われていました。昼と夜をそれぞれ6等分し、一単位を「一刻」と呼びました。一日のうちでも昼と夜の一刻は長さが違い、しかも昼夜の長さは季節によって変わるため常に変化していました。不定時法の説明 | 和時計とは | THE SEIKO MUSEUM セイコーミュージアム
不定時法のころは普及はしなかったし
実用性も皆無だったんで
ヨーロッパの17世紀~18世紀初めのように
貴族(殿様)の玩具感覚だったと思われるよ
後藤は…まあそういう役回りだわな
民権運動の過渡期に担がれるけど
勝手に明治天皇に面会しようとしたりして
色々ぶち壊したあげく梯子外されたり
IDかわってまった
不定時法の採用以降の明治10年代後半から大隈財政でインフレ激化したのもあって
地主層の所得が豊かになり
舶来品の購入が激増して、輸入超過となった
その頃初期の商館時計が爆発的に普及したんだよね
国会図書館がネット閲覧できると知らなかった
今度ゆっくり見てみたい
色々とありがとう
どうせ一人で見れる資料なんて限りがあるし、漁る角度(趣味)も人それぞれで多様だし、
色んな人が色んな資料を見て、ちびちびとでも結果を出力してこーぜ。
実物を見たことあるけど、ダイヤルだけロンジンのガチャ時計だったよ
ロンジンミュージアムの鑑定済みだし。
アーカイブもあったのでそれはないでしょ。
ほんとにムーブ見たら一発でわかるから
ロンジンだって「あ、これガチャですわ」って言っちゃうより「日本史に残る偉人も持ってました」
の方がマーケティング的においしいからスルーしてるだけでしょ
ムーブ見たことあるのかー。裏山。
デテントのクロノメーターなんだっけ?
http://blog.goo.ne.jp/amachan_001/e/659336089c7e9069b92ffcc35adeeb8d
>>532は件の時計師のところで見せてもらったのかな?
ロンジン古時計コンテスト入賞時計を載せた「幕末の時を刻んだロンジンの古時計」って本があるんだけど、
それに西郷さんの時計がムーブどころか外観の写真一枚すら載っていないのが疑念をより深めるわけであります。
正直にガッチャでしたって告白したほうが印象いいだろうに
SGの指示かな
単にエボーシュ機械に銘入り文字板入れたのを
ガッチャと勘違いしただけでは?
さすがにアーカイブはガッチャでは出ない
伝聞が正しければ西郷さんの時計は1867年製造とのことなんですが、そのころのロンジンは立ち上げ直後で
人員の教育や設備の拡張なんかで色々試行錯誤してる時期で、デテント脱進機とかに色気出してる暇なさそうなんです。
あと、海外コレクターの所有品含めて結構な数のロンジン懐中を拝見してきたんですけど、
エボーシュ機含めてロンジンの時計でデテント脱進機ってまだ見た事ないんですよね。
もし西郷さんのデテント時計が本当にロンジン製ならかなりの大発見だと思います。
機械とケースのシリアル不一致、ダイヤル足の改造痕、ロンジンじゃまず見かけないネジ止めのダイヤル足、etc…
これがオリジナルなら購入者が訴訟起こしますわ
ダイヤルねじ止めか・・・
なるほど、両方ともデテントなのか。
有名人が懐中時計2個といえば、ガンジーもゼニスのアラームの方が高額落札で有名だけど、
Ingersollのダラーウォッチも持ってたらしいね。コッチのほうがたしかに清貧感はある。
割と最近まで日本でほとんど知られてもいなかったような
デテントのムーブメントの時計を西郷さんが持ってたとはね
西郷所有のデテントがオリジナルではないロンジンダイヤルに交換された訳ではなく、
オリジナルではないロンジンダイヤル付きのデテントを「へい旦那!これってば西郷さん所有の懐中時計なんですぜ!」ってな感じで掴まされた可能性。
たしかデテント
ロンジン好きが集まった時に「ロンジンでデテントは見た事無いよな~」って話をした記憶が・・・。
しかしまぁ、当時不定時法な日本で砲術用に入手したのだとすると、
PHONO TELEMETERなストップウォッチの使い方であればデテントはオーバースペック。
陸軍で使うならハードユースに耐えるアンクル式脱進機の方が正しいんじゃないか感がないではないっすな。
たしか着弾距離の計測に使ってたんでしたっけ?
どのみち緻密な計測は無理だから、ある程度わかれば良かったんでしょうね。
もう一個の方はメーカーとか真贋とかどーなんだろ。
たぶんイギリス製のデテントだったかと
一般的な時計に比べて日差で十数秒程度精度が良くても、
ストップウォッチとして数十秒計る程度だと計測時の人間の誤差で埋もれちゃうから無意味な気がするんだよね。
実際、ストップウォッチって懐中時計に比べるとチープなテンプが多いし。
着弾観測が必要な砲ってあるんだろうか?
往々にして先込め青銅砲でライフリビングもないから
天守閣目掛けてぶっぱなすしかない
アームストロング砲って有名だけど
新政府は数門しか持ってないはず
文明開化の象徴以外の用途がなさそう
そーいう感じで島津の殿様も玩具として入手した懐中時計を西郷どんに下賜した…。
の方がストーリー的にシンプルな気がするっすな。
引用元: http://mint.2ch.sc/test/read.cgi/watch/1486049211/
へぇ〜、あの辺の時代に入ってた時計ってGP位かなぁって思ってた