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■ ドイツ腕時計。宗教と戦争に翻弄された歴史と技術
腕時計といえばスイス。それは誰も疑うことができない事実です。
世界5大腕時計もスイス腕時計がその殆どを占めています。
しかし、その中で唯一、スイス製ではない腕時計。「ランゲ&ゾーネ」
「ランゲとその息子たち」という意味を持つこの腕時計メーカーだけが、スイスの高級腕時計メーカーと肩を並べることを許されています。
しかし、スイス腕時計がここまで発展できたのは、実はドイツのおかげでもありました。
元々、時計の技術が世界で最も発展していたのはドイツです。ドイツで初めて携帯型時計が発明され、その技術が発展して現在の腕時計に進化していくのですが、なぜドイツはスイスを上回る腕時計大国になりえなかったのでしょうか?
宗教革命。人類初の総力戦。ナチス。ベルリンの壁。
中世から近世にかけてのドイツの歴史は壮絶なものでした。国の混乱は技術を流出させ、産業を停滞させました。
ドイツの歴史を追いながら、ドイツ腕時計の誕生と流出、衰退と発展を書いていきます。
■ ヨーロッパ中を驚かせた「ニュンベルクの卵」
現在の機械式腕時計に使用されているゼンマイ技術ですが、このような携帯できるような大きさにする技術は、16世紀のドイツで誕生したと伝えられています。
この技術を開発したのがドイツ人技術者「ペーターヘンライン」
彼の発明した携帯のできる時計は、ドイツのニュンベルクで作られたことから「ニュンベルクの卵」と呼ばれ、当時のヨーロッパで人気を博します。これが最初の携帯型機械式時計の始まりといわれています。(諸説あり)
引用元:Nuernberger Ei offen – ピーター・ヘンライン – Wikipedia
■ 宗教革命でドイツを追われた技術者達
1618年に勃発した三十年戦争は、時計の技術を衰退させるには充分すぎる出来事でした。
宗教を原因とするこの戦争により、弾圧と迫害を逃れるために、プロテスタントの時計技術者たちは新天地を求めて旅立ちました。
新天地は後に「プロテスタントのローマ」と称されることになるジュネーブ。
スイス時計発展の幕開けでした。
■ ドイツ敗戦と壁に隔たれた時計技術
技術衰退により、長らく低迷していたドイツ時計ですが、19世紀に入り、グラスヒュッテに工房をかまえた時計メーカー「ランゲ」、後に世界5大腕時計と称されるランゲ&ゾーネが、ドイツ時計の評価を変えていきます。
ランゲの懐中時計は、1900年の万国博覧会でも高い評価を受け、さらにはランゲ時計に感銘を受けたロシア皇帝から勲章をもらうほどの完成度を誇っていました。
ランゲのみならず、その他のドイツ時計も着々とその地位を回復させてきていたのですが、世界は未だ混沌の時代。ドイツではナチスが政権を握り、ヨーロッパ中で戦火が広がります。
そして1945年、ドイツは敗戦。ランゲ&ゾーネは東ドイツに位置していたため、会社は国有化され、ランゲ&ゾーネは消滅します。
その後、東西ドイツではそれぞれの腕時計が独自の進化を遂げていきます。
共産圏である東側では、技術進化が限定されていました。そのため、東側の技術者たちは限られた技術を試行錯誤して腕時計を守っていきました。そして資本主義であった西側では、様々なエッセンスが混じり合い、独創的な腕時計が誕生していきました。
■ 壁の崩壊と融合する二つの技術
そして1990年。ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一されると、隔絶された中でノスタルジックな雰囲気を維持してきた東側の腕時計と、バラエティに富んだ西側の腕時計が一気にドイツ腕時計として世界中で人気を博します。
ランゲ&ゾーネも復活を果たし、その地位を確固たるものとしていきます。
その後、ドイツ腕時計はスイスの高級路線とは一線を画し、「質実剛健」「機能性重視」といったマニアを唸らせつつも比較的求めやすい腕時計として展開していきます。
ドイツ腕時計を目にした時、そのメーカーの歴史を追ってみてください。
きっといつもと違った目で、あなたはその腕時計を見ることになると思います。
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