1916年9月3日、フランス領ロレーヌ地方で生まれた少年は、いつも空を見上げていました。時代は帝国主義の時代、世界は人類初の総力戦、第一次世界大戦の真っ最中でありました。しかし少年は、来る日も来る日も、空を飛び交う戦闘機を曇りのない憧れの眼差しで見つめていました。
少年は空と同時に機械にも強い関心を示し、特に機械式時計への興味は尽きませんでした。しかし最終的に彼は空への情熱を捨てきれず、1936年、少年はドイツ空軍の戦闘機パイロットの道を選択します。この時、世界は再び混迷を極めており、ただの空好きの少年は戦争という狂気に身を投じていくことになります。
by:ドイツで修業をした時計修理
戦争で気づいた計測器としての時計
ドイツ空軍に入隊した少年は、厳しい訓練を経て、正式な戦闘機パイロットとなります。時は1936年、第二次世界大戦が勃発した年でした。少年はすぐに実戦に投入されます。少年に与えられた任務は長距離偵察。味方の生存率を上昇させ、作戦を成功させるために最も重要な役割であり、かつ危険な任務でありました。
少年は何度も戦場で窮地に陥りますが、そのたぐいまれなる操縦技術で幾度も死線を乗り越えます。また、少年は戦闘機の燃料計測を燃料計ではなく、腕時計で計測をしていました。少年はその時、気づいたといいます。戦場での腕時計の精度が作戦の成否を、そして命を助ける、と。
やがて少年は教官となり、その飛行技術を後進に伝えていきます。少年の飛行技術は国にも認められ、少年はドイツ軍勲章である第一級鉄十字賞を授与され、英雄の仲間入りをします。しかし、1945年にドイツは敗北、少年は軍を離れ、敗戦の混乱から立ち直れていないフランクフルトで腕時計を造り始めます。
計測器としての腕時計
腕時計を造り始めた少年は、理想の腕時計とは何かを考えます。少年の理想とする腕時計とは、正確な計測ができる腕時計であり、どのような悪条件でも正確に使用できるという腕時計でした。これは少年の経験、すなわち戦争で体験した空での戦い方、空中戦で命を守るためにもっとも重要なものはなにか、という一つの答えとしての腕時計でした。
そのため、この少年の生み出す腕時計は、時計というよりも計測器に近いものであったといわれています。また、時計内にシリコンオイルを充填させて耐圧性能を飛躍的に向上させる「ハイドロテクニック」や、高い防磁性をもつステンレスの開発など、従来の腕時計では考えらえないような技術を開発、投入していきます。
全ては空という特殊空間でも最大限機能を発するため、そして生き残るため。
やがて少年の腕時計はドイツ空軍にも採用され、ミリタリーウォッチとしての地位を盤石にしていきます。
今なお衰えぬ意欲
齢101ながらなお、元少年は自らの理想となる「計測器」を造り続けています。
ドイツ偉人史には彼のこのような言葉が掲載されています。
「私は腕時計を造っているのではない。計測器を造っているのだ」
ヘルムート ジン
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